TOMICA SAVE JAPAN-7TOMICA 86

2011年、3月12日の私のブログ転載

昨日、私は会議中でした。何かゆらゆらとめまいに近い感覚を覚え参加していたメンバーがお互いに顔を見合わせる…地震?
名古屋ではその程度。
ただ、いままでに感じたことの無い大きな大きな波に乗るが如くの揺れ、しかも長い。
車酔いの様なおかしな気分になり建物の外に出ると多くの社員が同じように出ていました。

インターネット上では次から次へと情報が上がっていました。
メールでは北関東の工場との内線やメールが普通になっているという情報がどんどん届きます。

定時まで仕事をし家に帰りテレビを付けるとすべてのチャンネルが情報番組になっていました。
映し出される映像はどれも信じられない光景ばかり。
"津波"の恐ろしさ…。

私も仕事上でお世話になっている方が須賀川や一関、岩井…昨日今日のテレビで名前が出てくる地域に何名かみえます。
今回被害にあわれた皆様に心からお見舞い申し上げます。
また行方の判らなくなっている方の一刻も早い発見と一日も早い地域の復興を心から願っています。
  

昨日から今日にかけて2011年3月のブログをずっと見返していました。

「TOMICA SAVE JAPAN-7TOMICA 86」
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レギュラー番組のほとんどが無くなりほとんどが震災の番組に変わってしまったこと・・・。
笑いに繋がるような楽しい番組を放送してはいけないという様な雰囲気だったこと・・・。
民間の会社が一般のCMの放送を自粛し公共広告機構のわずか数種類のCMが繰り返し流され一層気持ちが滅入っていたこと・・・。
7年の歳月を過ぎて行くことで、未だの感はあるにせよ、過ぎた時間分の復興は進んでいると思います。
未曾有の震災が起きてほんのしばらくの間で我々の感じた喪失感、笑顔さえ許さない雰囲気の世間・・・。
営業促進(宣伝)をする事が背信的とされる様な世間・・・。
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終日彼の震災の特番が組まれた7年目の今日。
久しぶりに街を飲み込む津波の映像をいっぱい見ました。日曜日でテレビを見る機会が多かったからでしょうか。
この7年の間、毎年の様に記憶を喚起すべく彼の震災に、私にとっての2011年の3月11日の話を振り返ってきましたが、これは全て自分の中でこの震災を風化させない為の思いです。
それでもリアルな波に飲み込まれれる街、海に引きづり込まれる街のあの映像が流れると、まるでタイムマシンかの様に、やっと過ぎた7年間の時間の経過を無視して彼の日に戻ってしまいます。
ちょっと辛いかな。
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今日はこれからの1年間、8年目に向かう365日のスタートです。
7年目に続くこの1年間にも色々な事があった様に、これから先の1年間にも多くの事があるのだろうと思います。
だからこそ記憶の中から薄れていく震災を、1年に一回、自分の引き出しから一旦取り出して机の上に拡げる作業が必要なのだろうと思います。
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追:
今日3月11日は“名古屋ウィメンズマラソン”がありました。
日本人は3位が最高位で初マラソンだった日本郵政Gの関根花観(せきねはなみ)さんでした。2時間23分07秒。
この関根さんは東京町田生まれ、仙台育英高校で震災に遭い、愛知の豊川高校に編入するという境遇。
今日のマラソンで頑張れたのは今日が3月11日だという思いがあったのかもしれないですね。
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TOMICA SAVE JAPAN-6 LEXUS IS 350 F SPORT

あれからもう6年も経つんですね。
震災や原発に絡む嫌がらせやいじめの話が未だにあるなんて。その陰湿さ、ちょっと信じがたいです。
教育委員会の対応・・・なんじゃありゃ?
数日前、避難指示区域に入場が許される15歳にようやくなれた子供達が6年ぶりに訪れた生まれ育った土地で撮った写真を紹介する番組がありました。
私は溢れ出る涙を留めるのに必死でした。
でも子供達はしっかり前を向いているんですよね。
自分たちがやらなければいけないことをそれぞれが持っているんです。
あれには驚かされました。
それにしても大人たちの責任は重い。

「TOMICA SAVE JAPAN-6 LEXUS IS 350 F SPORT」
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〜以下は毎年3・11の日には書き込んでいる文章です。〜
6年前、私は名古屋市天白区の社屋の会議室で近隣の生産工場の方を交えて製販合同の定例会をしていました。
2時47〜8分だと思います。公園の貸しボートに乗っているかの様な波に身を任せる様な大きな波長のゆっくりとした、それでいて今まで経験したことの無い様な長い長い揺れの中に居ました。
揺れが収まった段階で社屋の外に出ると、そこには同じ様に社屋の外で心配そうにしている同僚がいっぱい・・・。
名古屋は震度4だったということです

来年も同じ文章を打ちたいと思います。
私の中で忘れない様にしたいという思いです。

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毎年作られている“SAVE JAPAN”のミニカーです。
これを買うことで幾らかのお金が寄付に回るそうです。
私にはこの程度のことしか出来ません。でもいいのだろうと思います。
毎年この日に彼の震災の日に同じ内容のブログをあげる・・・。
毎年出される“SAVE JAPAN”のミニカーで僅かばかりを寄付をする・・
そうそう、こんなのもありました。
Yahooで“3・11”と検索すると10円が寄付されるというもの。
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みんなも同じ思いでいるのだろうと思います。
もう6年、されど、まだ6年。まだまだ復興半ばです。
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2時46分。私はお店で食事中だったので座位ではありますが、忘れにに黙祷をしました。



TOMICA LEXUS RC F

名古屋では小舟が波に遊ばれるが如き横揺れが長い間続きました。
あんな揺れを経験した事は後にも先にもあの時だけです。
本当に長い揺れでした。船酔いに近いものを感じた様に記憶しています・・・。

毎回3月11日には同じ様な事を書いている様な気がします。
でもそれがいい事なんだと思える様になってきました。
毎年毎年あの時の事を思い出す。そして文字として残す。この繰り返しこそが“伝える”という事なんだろと思います。

今、東京で仕事をしています。
名古屋とは違い、ここ東京では“帰宅困難”だった方を含め、彼の震災の当事者の方が多くいます。
今日、3月11日はあちこちで当日を思い出す話が聞こえてきます。
こうやって毎年毎年、同じ話をする。“同じ話を去年もした”と途中で思い出しても、話し続ける。大切な事なのでしょう。

「SAVE JAPAN -5 TOMICA LEXUS RC F」
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5年経った今日現在、まだ2、561名もの行方不明の方が居る様です。
残された家族も苦しいだろうと思います。

私の会社では総務から震災発生時間に合わせての黙祷のお願いメールが届きました。
私も黙祷に参加させていただきました。
全国で多くの仲間が黙祷をしたと思います。1分間の沈黙。目をじっと閉じ、頭を垂れる。

今朝、7時過ぎ、いつもの様に出勤すると、隣の文部科学省の入り口に“弔旗”が挙げられていました。
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日本中のあちこちで3月11日を思い出す日になっています。

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いま私たちは、間違いなく、後世に伝えるべき大きな大きな歴史の一頁の真っ只中に居ます。





TOMICA LAND CRUISER COSTOM

あれから20年。
もう20年なんですね。
今日は土曜日ということもあり、朝から特番が多く放送されています。
“阪神淡路大震災”。
私は当時の勤務地、三重県の四日市で、いつもと変わらない、まだ日が登るには早すぎる朝を迎えていました。
深い眠りに入っていてもすぐ現実に戻されるいつもと違う激しい突き上げるような揺れが数回。
目を開けて意識はあるのですが、揺れが止むまで起き上がることを止めたのを覚えています。
揺れ自体はそんなに長くは続きませんでした。起き上がっては危険だと思った様に記憶しています。
四日市の震度は「4」。
続々届くニュースは今までの経験の域をはるかに超えた驚きの連続で、高速道路が倒れていたり、ビルが傾いて寄りかかっていたり・・・。
燃え上がる街並み、潰れた家・・・全てが目を疑うものでした。

「TOMICA TOYOTA LAND CRUISER SAVEJAPAN ver.」

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神戸、好きでした。妻と付き合っている時も何度かドライブしましたし、結婚1周年の旅行も神戸で三ノ宮駅前のホテルに泊まりました。
淡路もいいところです。金属20年の休みを利用しての四国一周は迷わず淡路島経由にしましたし、一昨年も淡路の夢舞台のホテルに行ったりもしています。タマネギを買う目的だけに行ったこともありました。

“10年ひと昔”と言いますが、20年というと2サイクル回ったことになります。すでに両方の街は震災の跡をうかがわせるものは表にはありませんでした。
今日のテレビ放送で当事者の記憶の中に鮮明に残り続ける震災を垣間見せてもらえたような気がします。

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TOMICA FIAT 500  COSTOM

今日は3月11日
毎年毎年、この日になると同じ事を書いていますが…。
3年前の3月11日、14時46分。私は名古屋市天白区にある事務所の会議室で工場の管理課長等と営業部隊の業務的な会議をしていました。
気分が悪くなる様な長~い波長のまるで船に乗っている様な大きな揺れに身を任せるという今まで経験した事が無い地震でした。
家に帰るとすべての番組が特番に差し換えられ、目に飛び込んでくるのは、現実である事を認めたくないと思われる映像の数々。テレビCMは同じ内容の共同広告が永遠と続くかのように流される世界。

あれから3年も経つんですよね…。

今日の名古屋地域のローカルニュースで名古屋の繁華街の栄で“岩手日報”の特別号外が配られたというものが有りました。
名古屋市が姉妹都市の陸前髙田に対して市職員他を派遣し続けている事に対しての感謝の内容が綴られているというものでした。
まだまだ“復興”というものは半ばなのだろうと思いますが、本当に大変なのは、この経験を何百年も先に人に対して語り継いでいかなくてはいけないと言う事なのかもしれないですね。

「TOMICA FIAT 500 SAVEJAPAN ANOTHER Ver. COSTOMIZED BY SOMEONE ,issued 2014」

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今日、どのチャンネルの番組かは忘れましたが、こんな事を言っていました。
“釜石の奇跡”と言われている犠牲者が極めて少なかった小学校の話の中で、わずかに発生してしまった犠牲者が何らかの都合で当日、学校を休んだ子供達だけだったという事でした。
「学校に通うのは、夏休みとかもあるので年間で200日足らず、また授業は6時間程度…。1日24時間、1年365日の中でわずか13%でしか無い」
学校に任せる事が出来るのは子供達の時間の中でわずか13%でしか無いという考えです。
残りは…家庭です。家庭の中で伝えて行く、教えて行くのウエイトが大きいんですよね。

今回の震災後のニュースで先人が残した津波の警鐘が神社仏閣の石碑や言い伝えの中でいくつか見つかっていたというものが有りました。
今回の震災はおびただしい数の映像データや科学的なデータでより直接的に伝えられると思いますがやはり家庭の中で伝えて行く、語り継いでいく事が必要なのかも知れません。


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1年先の3月11日をどの様な復興の過程の中で迎えられるのだろか?
私の記憶は薄れる事無く思いを馳せる事が出来るのだろうか?
“311”を上回る災害が起きずに居るのだろうか?










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Author:Lタロさ
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